壬生町の紹介

◆プロフィール

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 東京から90km、首都圏にある壬生町は、栃木県の県央南部、宇都宮市の南隣に位置し、町域61.08k㎡、海抜50~100mのほぼ平坦な地形で自然災害の少ない、非常に住み良い町で、4万人の人口を擁しています。
 町の西境を思川、中央部を黒川、東境沿いを姿川が南流しており、この肥沃な関東平野の北部に当たる平坦地で、特産干瓢(かんぴょう)と米麦作、近年は“とちおとめ”で知られる苺栽培が盛んで、特に干瓢は江戸時代から栽培され、野州干瓢の発祥地として自他共に認められています。

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歴史的には、恵まれた自然環境を背景に、原始・古代から多くの人々が暮らしていたらしく、当時の遺跡が確認されており、「下毛野国」の一中心地であったことを現在に伝えている。平安時代には、後に天台座主となった慈覚大師 壬生円仁(えんにん)※写真左が誕生している。
 戦国時代になると、寛正3年(1462)壬生氏によって壬生城が築かれ、江戸時代を経て明治維新を迎えた最後の城主が鳥居氏であった。この間、壬生城の城下町、日光街道の宿場町として、また黒川を利用した河川交通の要衝として栄えました。明治になると廃藩置県で壬生県が誕生し、後に町村制施行を経て壬生町となり、昭和29、30年隣村を合併し、現在の壬生町が誕生しました。

 

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そして、昭和37年のおもちゃ団地誘致。同48年4月、獨協医科大学開校(※右写真・獨協医科大学並木道)。翌49年、獨協医科大学病院開院と、県内町村有数の人口を擁する町に発展してきたいま、北関東自動車道のインターチェンジ設置(平成12年開通)、調和ある発展を目標に21世紀に向かって「夢と活力にあふれた緑園都市・みぶ」を目指し、一歩一歩着実な歩みを始めています。