木立の中の自然豊かな散策コース。豊富な見どころと多くの古墳が昔人の息遣いを感じさせてくれます。壬生町が育んだ文化人の原風景をたっぷり堪能してください。

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コースの見所紹介(下のウインドウをスクロールして下さい)

1 嘉陽が丘ふれあい広場

1 嘉陽が丘ふれあい広場 壬生町大字上稲葉1056-8

自然に恵まれた中での活動拠点広場。宿泊研修施設やバンガローを備えたキャンプ場、体育館や星空を観測できる天体望遠鏡等がありアウトドア気分が満喫できます。
◆TEL.0282-82-1014

2 高尾神社

2 高尾神社 壬生町大字上稲葉

建礼門院に仕える侍女であった高尾は、平家没落とともに仕えをやめ生国因幡国へ帰る途中、病にかかり金売り吉次に助けられました。その恩に報いるため後を追って稲葉に来たがすでに死んでいたことを知り、弔いながら上稲葉に住むようになりました。高尾は死に際し、持っていた宝剣を埋め、因幡の高尾明神を勘請するよう遺言をしました。

3 梅林天満宮

3 梅林天満宮 壬生町大字上稲葉

太宰府に送られた菅原道真公を祀った神社で、毎年2月下旬には例大祭が行われ、合格祈願や学業成就の願をかけに近隣の人々が訪れる。また、太々神楽や五段囃子が奉納され、露天商なども出て大変賑わいます。

4 親抱きの松

4 親抱きの松 壬生町大字上稲葉

南北朝の頃、宇都宮城主公綱の家来、南条左衛門が戦死し、妻登美留は宇都宮に預けた娘を訪ねて稲葉まで来たが病に倒れてしまいました。村人の知らせに娘が駆けつけたとき、母はすでになくなっていた。娘は母の霊を弔い念仏三昧に明け暮れていたが、悲しみのあまり病になり母の後を追うように死んでしまいました。村人はこの母子を弔うため墓を築き、松の木を植えましたが、いつしか娘の墓に植えた松が、母の墓に植えた松を抱くように生い茂ったという言い伝えがあります。

6 市兵衛八幡

5 市兵衛八幡 壬生町大字上稲葉

壬生城主加藤氏の時代、領主の重税に堪えかねた農民の代表、上稲葉の賀長市兵衛、下稲葉の石井伊左衛門、壬生の須釜作十郎は、税の軽減を領主に訴えたが果たせず、更に江戸に出て将軍に直訴しようとしたが捕らえられ、賀長と石井は打ち首となりました。村人は、市兵衛の義侠心に感じ、市兵衛八幡として神にまつりました。

5 鹿島神社

6 鹿島神社 壬生町大字下稲葉1151-1

平城天皇の時(今から約1,200年前)常陸一の宮(官弊大社)鹿島神宮より勧請し、1181年(治承5年)3月に本社再建されました。明治40年に神饌弊帛料供進指定の社となり、明治41年鹿島無格社、八坂神社の祀を許されました。境内東方には子宝の石が祀られてあり、お参りすると子宝を授かると言われています。

7 鯉沼九八郎翁の碑

7 鯉沼九八郎翁の碑 壬生町大字上稲葉933-1

明治維新後、自由民権運動が盛んになり、本県では県南を中心にその運動が起こり、下稲葉の鯉沼九八郎らがその先鋒となった。明治17年栃木県庁が宇都宮に移され、開庁式が行われることになったが、九八郎らは三島県令らを暗殺する計画をたて、九八郎は爆弾を製造中暴発して左腕を失いました。(加波山事件)

8 稲葉一里塚

8 稲葉一里塚 壬生町大字上稲葉

稲葉一里塚は、国指定史跡の壬生一里塚同様に、日光道中壬生通り(日光西街道)に設けられた一里塚です。江戸日本橋から数えて24里目にあたり、江戸時代の古文書によれば塚の上には松が植えられていました。

9 金売り吉次の墓

9 金売り吉次の墓 壬生町大字上稲葉1563-2

源九郎義経を鞍馬山から連れ出して、藤原秀衡のもとに送り届けた豪商で、この稲葉の地で生涯を終えました。また、江戸時代『奥の細道』で知られる松尾芭蕉に随行した曽良の日記にも記されています。

10 母衣掛けの松

10 母衣掛けの松 壬生町大字七ツ石

八幡太郎源義家が奥州安部氏を征伐に向かう途中、七ツ石で一本の松を植えて戦勝祈願をし、後、源義経がここを通ったとき、その松の木に母衣を懸けて休んだので、母衣掛けの松と言われるようになりました。母衣というのは、鎧の上にかけて敵の矢を防ぐ役目をする布です。

11 椿森と皇室庵

11 椿森と皇室庵 壬生町大字七ツ石

昔ある一族がこの地を通りかかった際、椿の花が満開で美しかったのでここで休息をとりました。村の人々は天皇家の身内と思い、一族が休んだところを「皇室庵」と呼び、椿の花が咲いていたところを「椿森」と名付けました。また皇室庵には壬生家最後の城主壬生義雄の皇室(未亡人)が庵を結んだことからこう呼ばれたという説もあります。

下馬木溝渠の碑

12 下馬木溝渠の碑 壬生町大字上稲葉

下馬木神明宮の境内にあり、下馬木地区の田に水を引くため、明治初年下馬木の人々が上稲葉の峰山の下を掘り抜いてトンネルを造り、黒川の水を引いた大工事の記念碑です。溝渠の長さは1,561間(2,838m)にも及びます。

13 芭蕉句碑

13 芭蕉句碑 壬生町大字福和田

句碑は、芭蕉塚建立を願い、志半ばで世を去った黒川舎古蘭(大橋甚右衛門)の遺言により、安政4年(1857)4月に同行の仲間により建立されました。句の表には俳人松尾芭蕉の句「久た比れ亭宿可る頃や富じの花」と刻まれています。また、碑の裏には古蘭の辞世の句が刻まれています。「いざゆかん 花は冥土 の道すがら」

14 羽生田城跡

14 羽生田城跡 壬生町大字羽生田

壬生城主、壬生氏によって築かれ、今市の板橋城などと共に支城となっていました。最後の城主は藤倉勘斎でしたが、豊臣秀吉の小田原攻めの時、壬生城主、壬生義雄は北条氏につき戦死し、壬生氏は滅亡、羽生田城も廃城となりました。今城跡には羽生田小学校があり、北側には三重の堀跡があります。

15 歓喜院の楼門

15 歓喜院の楼門 壬生町大字羽生田2169

歓喜院は嘉応2年(1170)、南都興福寺の功智上人により創建された真言宗智山派の寺で、その楼門は三間一戸の大きさを持ち、現在は銅板葺きとなっている屋根も当初は茅で葺かれていました。楼門は江戸時代の工匠永野万衛門の手により建てられました。

16 富士山古墳

16 富士山古墳 壬生町大字羽生田

栃木県で最大の円墳。墳丘は直径86mの墳丘第一段上に直径55mの第二段がのっています。高さは約12m。墳頂部からは大型の家形埴輪や盾形の埴輪などが出土しています。とくに、家形埴輪は高さが150cmをこえる、国内でも最大級の埴輪です。

17 茶臼山古墳

17 茶臼山古墳 壬生町大字羽生田

丘陵の先端部に築かれた大型の前方後円墳です。墳丘の周囲には完全な形で深い堀と土塁がめぐっています。古墳の総全長は約140mに達し、その大きさに圧倒されます。明治年間の発掘により家形埴輪などが出土しています。

18 桃花原古墳

18 桃花原古墳 壬生町大字羽生田

三段に造られた直径63m・高さ5mの円墳。近年の発掘により、石室の入口の前面に広がる河原石で積上げられた『前庭部』といわれる祭りの場が、完全な形で出土しています。古墳からは金銅張りの馬具や武具類などが出土しています。

19 長塚古墳

19 長塚古墳 壬生町大字羽生田

全長77mの前方後円墳。南側を走るバイパスから眺めると墳丘全体を見渡せます。現在、墳丘の周囲は畑となっていますが、盾形に堀がめぐっていることが確認されています。羽生田地区の大型古墳は、富士山古墳→茶臼山古墳→長塚古墳→桃花原古墳の順に造られたと考えられます。

20 黒川の里ふれあいプール

20 黒川の里ふれあいプール 壬生町大字羽生田241

■プール利用のご案内 ◆TEL.0282-82-2345  7月第2土曜日〜9月第1日曜日  午前9時〜午後6時 ■利用料金   一般   700円         小・中学生   400円      ロッカー使用料1回  100円

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